社会正義は証拠でしか守れません

写真と録音、それがあなたを守ります


日本では、法律と言葉が、音楽で言うメロディとリズムの様に、一つの組み合わせとして、正義や秩序の形を構成して居ます。

 

処が正義と法律の間には、政治家とか組合員の様に、人数や投票権を、より多くの頭数を集め、自分達の仲間だ有利にしようとする社会全体の利益を歪める人たちが居ます。

 

そこで裁判所は、各社会人を公平に扱う為、個人団体とを問わず、客観的な証拠に基づき、司法の場で裁くのです。

 

私は正義と法律との間に、大きな隙間や不充分な解釈のずれがあることを知りながら、それでも、今日現在、可能な範囲での社会正義の実現を図りたいのです。

 

その原因は、人間の知能がレベルの高い人ほど、経済社会の構造を熟知しており、タックスヘイブンや、人為的に作り出された紛争や戦争が、株価と言う利益獲得手段の一見正しそうに見える経済活動で、不労所得と呼ぶ犯罪的利益を独占させるからです。

 

白人社会が持つ、株価操作と法人と言う新奴隷制度と、ジュウイッシュとナショナルソシアリズム

との戦争と言う名の過去の歴史を忘れることなく、写真と録音などと言う微細な武器で、アメリカの憲法修正第2条が認める武装権の100分の1程度でも自らの手で戦いましょう。